夢をちりばめて

ずっとなんてないから今を大切に

新生活から1年

もう3月。
今考えると1年前のちょうど今頃、もう少しで始まる新生活にウキウキドキドキしながら、ただ一人暮らしが始まるのが不安になってきて毎日嫌な夢をみてるような日々だった。

去年、大学生になるにあたって四国の方から関西に出てきた。理由はシンプルに都会への憧れ。もちろん東京も考えたし1番行きたいのは東京だった。だけどなかなか実家に帰れないだろうし生きていけないと思ったとき東京で1人で死ぬのは嫌だと思ったから割と近い関西にした。ハッキリ言うと地元を出たかった理由の1番は現場の行きやすさ重視だ。



ここからクズエピソード落としていくので、自分がクズだなと思ってる方は自分よりもクズがいるんだと思いながら見てください。



・大学を決めた基準

将来やりたいと思ってることはだいたい決まっていたから行きたい学部も決まっていた。その学部のある関西の大学をまず探す→その中で自分にあった偏差値で選ぶ→ホームページなどをみて行きたいところを絞る→OCに行く→受験日が早いところを選んで受験


こういった流れだった。とりあえず第2.3候補くらいまで決めていて受験の早いところから。とにかく学校と勉強が嫌いな私はなんでも早く終わらせたかった。学校も勉強も嫌いなのになぜ4年も大学に行くのか。自分の時間が欲しいから。遊びたいから。働きたくないから。シンプルなクズです。まあいつかは働かないといけない時がくるけどね。
そして受験日が1番早いところは筆記試験がなく、面接のみだった。


喋りが苦手な私だったけど私なりに面接の練習は何度もしたし、嫌々ながらも先生ともやってもらった。受験番号がきたときに9桁もあった。長すぎて覚えられないと思ったので覚える気もなかった。ちなみに記憶力も相当ない。覚えずに行くとまず最初に「受験番号をお願いします。」しまった…と思った。どうにもらならいので「すみません、覚えてません。」とハッキリ言ったらクスッと笑われた。そりゃそんな受験生なかなかいないよね。とりあえずなんとか、緊張しながらも終わった。と同時に99%落ちたな…と思いながら切り替えの早い人間なので次頑張ろ〜程度だったし、落ちてたらまた考えようという感じだった。



ちなみにこの受験の6日前と合格発表の日、私はコンサートに行っていた。今思うととことんクズだ。受験前は大阪、合格発表の日は福岡。福岡に着いた頃、母から写真付きで「合格してたよ!」と連絡がきていたので安心した。まぁクズには変わりない。心置き無く楽しめた。



・家を決めた

家を決めるのに3回くらい行っただろうか。受験したその日にも気が早いと思いながらも両親と行っていたので見たりもした。その時のことがあまり思い出せないけど私はただ部屋の広さだけで選んでいた。結局は私が折れて母がゴリ押ししたところに決定した。今思うと本当にここで良かった。学校にも駅にも行きやすい。住むところを選んでいる時、全く学校や駅の位置を把握せず選ぼうとしてた私は本当に馬鹿だ。


・引っ越し

初めての引っ越し。
家具や家電で1番譲れないものがあった。レコーダーだ。私には特に必要なもので。なかなかいいやつを買った。そのおかげで3番組同時録画できるし容量もたくさんある。一番買ってよかったと思えた。
電気ポットと電子レンジも便利だから必要。
あとはいらない小物はあんまり持っていかない方がいいよということをお伝えしたい。まだ1年しか経っていないのに物で溢れている。



・新生活スタート

入学式は確か土曜日だったので家族みんな来てくれて日曜は遊んで夕方駅までお見送りした。突如不安と寂しさに駆られて家族が見えなくなった瞬間涙が止まらなかった。駅で泣いてるただの変人だ。なんとか涙をこらえながら食料を調達し、家まで帰った。家に着いた瞬間、声を荒らげて泣いた。自分でもびっくりした。コンサートの遠征などで1人で東京はらくらく行けたのに。買い物も1人、映画も1人で行くし1人が好きなはずだったのにこんなに1人が孤独なんだと思い知らされた…
それから1週間くらい学校に行くときも周りの人にビクビクしながら半泣きで毎日登校していた。学校では友達も出来たので楽しかったけど友達とバイバイする頃に毎回お腹が痛くなって帰ったら泣くの繰り返し。夜になってもお腹は空かないし1人の時はご飯が食べられなかった。このおかげで2.3キロは痩せた。もう無理だと思って早2週間で実家に帰ることにした。(早い)
毎日泣きながら“一人暮らし 辛い”で検索かけたり“涙 止まらない”で検索したりしていたら自分よりひどい人がいたので辛くなった時にオススメします。
実家にいられることが幸せすぎて帰るのが嫌だった。ファザコンでありマザコンでありシスコンの私がなぜ一人暮らししようとしたのか…なぜそれを誰も止めてくれなかったのか…しばらく愚痴っていた。夏休みも丸2ヵ月ほど実家にいたのでまた一人暮らしに戻るのが嫌だったけど授業料も払って一人暮らしもさせてくれているのだから4年頑張ろうとそこで思えた。まあ簡単に言うと4年経ったら帰れるんですよ、たった4年!って自分に言い聞かせて。


・授業

関西弁!!!きつかった。もちろん関西に住むまではテレビとかで関西弁喋ってる人がいても普通に見れていた。違う、本場は違う。授業ももちろん関西弁なわけで。おじさん先生とかだともうめちゃくちゃ強い関西弁。ネイティブ関西弁。〜やねん!〜してへんわ!次々と出てくる関西弁(当たり前)が気になって仕方なかった。イントネーションもすごい。同じ日本でここまで違うのかと思ったし日本共通で標準語にしてほしいと思った。しばらくは関西弁のせいで全く授業の内容さえ頭に入ってこなかった。自分が重症なのかもしれないが。


・生活

その土地に慣れるまで時間がかかった。夜なんて怖くて外に全く出なかった。その割に夏は窓全開で寝てたけど。確か7月くらいに初めて22時くらいの外を歩いた。全然普通(笑)
4月いっぱいは自炊を頑張ってた。だけど人参ともやしを腐らせたあたりから諦めた。もともと料理が出来ないからクックパッドさんに頼りながら頑張ったけど、、諦めてからはとりあえずスーパーやコンビニで。炊飯器なんて2.3回しか使ってない…。米も4キロほどおいていたけど実家に送り返した。夏休みが終わってから飲食店でアルバイトしてからはまかないを付けてもらって、おかげで今は週4のまかないのおかげで生きている。


・現場の行きやすさ

(良い点)
もちろん行きやすい!断然!!今までは早起きしてバスに乗って3時間くらいかけて大阪まで来ていた。だけど電車で30分~1時間程度で行ける距離。そしてワンコインでいけちゃう。(場所によってワンコインとちょっといるけど)全然昼まで寝れる。幸せ。バスもホテルもとらなくていい楽さは素敵。Jr担なので東京行きの方が多いのが辛い。

(悪い(?)点)
そのぶん前日に荷物を詰めたりのワクワク感、明日コンサート!みたいな気分になれるのは減少してしまった。あとはついつい近いからと言っていろんなグループや関ジュの現場に行ってしまう。どれも行ってよかったと思える公演だったけど……1回行くとやめられなくなるよね。



・出来ることが増えた

まあ友達が出来たとはいえ人見知りで人間不信な私は自分を出せる友達にはなかなか出会えないためやっぱり一人行動が多くなっちゃって。自分から誘えないってのもひとつの原因だけどね。
美容院に1人で行けるようになった!海人くんと一緒で1人では行けなかった。シンプルに人見知りのせいで。だから髪型とか色とか全部母に伝えて担当の人に伝えてもらっていた(マザコンがひどい)。それが!まあ一人で行かなきゃいけなくなったから一人で行けるようになりましたよ。もう4.5回は行ってるけどやっぱり電話する時とか緊張するし常に緊張してる。けど行けるようになりました!!
ひとりカラオケ!ずっとしたかったけど1人で入るのが怖くてなかなか…けど春休みがひたすら暇で行こうと決断!いやめっちゃ楽しいやん!って感じ。もちろん気遣わなくていいわけだし歌い放題だし。もともとカラオケが苦手だから友達と行きたくない人間でして。カラオケは姉としか行きません…。ひとりカラオケ始めてからは暇があれば行きまくってる。楽しいからオススメ!ひとり映画とかはもともと出来るからひとり焼肉したい。なかなか勇気が必要…。
家事全般!実家にいたときは料理の手伝いと洗濯たたむくらい。洗濯機のまわし方も分からなかった人間だったけど洗濯は完璧◎掃除も気合が入ればできる(笑)洗い物はためちゃうけどまあしてますし。炊事は触れない…。



・1年経とうとする今

今はもちろん慣れて楽しいし関西でたくさん友達が出来たのが嬉しい反面、やっぱり実家が好きだという気持ち。実家に帰ったら帰ったでダラダラして結果怒られるのが目に見えてるけどそれもいいんだよね。一人でいるとほんとに何もしないんですよ。とことん\\\クズ///



この1年いろんなことがあったけど割とあっという間だった。やっぱり年齢を重ねるにつれ1年が短く感じるようになるもんなんですね。新しいことに挑戦する前は不安がすごい。やり始めると意外といけちゃうもんで。変なとこポジティブな性格で良かったなと思う。悪いことが起きてもすぐ切り替えられちゃいます☆



4月からまた新しい生活の始まり。
どんな生活になるのかまた楽しみと不安が。
ポジティブ人間(私)はとりあえず生きていければいいと思っているので今年も生きるを目標に。当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなることもあるので1日1日を大切に。




あと3年頑張るぞ〜〜〜〜〜〜!!!!!